2011年2月28日月曜日

Mechanized Robotのボディ、プレス工程

前回ご紹介しましたMechanized Robotの金型ですが、この金型を使って絞り工程をしますがその前にカット(抜き)してから絞り工程になります。
そのあと穴明け工程があり、ふちの不用な部分を切り取るチリ切り、穴明け、型押し等工程ごとに金型を交換して各部分のディテールを作っていきます。印刷したブリキ板を使わないときは最後に吹き付け塗装をして一つの部品が出来上がります。
Mechanized Robotは部品数が約20点あります。部品ごとに工程は少なくても4工程以上ありますので120工程以上の工程をへて全ての部品が揃うということです。
ムービーは工程ごとのサンプルを順番にお見せできる様にしたものです。
工程ごとにサンプルを抜き取ることは本来はしないのでこれらは貴重な資料となっています。



(C) OSAKA TIN TOY INSTITUTE/nobuo kumagai/2011

2011年2月25日金曜日

Mechanized Robotのボディ絞り型

ブリキのオモチャは0.3ミリ程度のブリキ板をプレス機で加工して部品を作り、それらの部品を組み立てて作ります。
プレス加工の工程で一番興味深いのは絞り工程でしょう。
平たいブリキ板が凸型と凹型に挟まれてプレス機の大きな力で最中の皮の様に片方に膨らんだ形の成形されます。
 Mechanized Robotの前ボディ凸型
Mechanized Robotの前ボディ凹型

絞り工程の前にまず必要な形に切り抜きます。
これを抜き工程といいます。


そのあと、絞り工程に入ります。
深い絞りの場合は、二回に分けて絞ることもあります。
この場合は一番絞り、二番絞りと行って最初は半分くらい絞ってから二回目で完全な形に仕上げます。ビールのようですね。

そのあと部分ごとに穴をあけたり、縁取りを切り落としたり(チリ切り工程)、トリム(縁取り)を成形したりと多いものでは20工程以上の作業の後に一つの部品になります。

ブリキ印刷されたブリキ板の場合はこれで出来上がり部品になりますが、塗装しなければならない部品の場合は塗装工程にまわします。

これらの出来上がった部品を順序よく組上げるとブリキのオモチャの完成になります。

(C) OSAKA TIN TOY INSTITUTE/nobuo kumagai/2011

2011年2月23日水曜日

奈良、西ノ京

先日、奈良の西ノ京に行って来ました。
久しぶりです。
唐招提寺の金堂が修理に入る前に一度行きましたがもう10年以上も前になるでしょうか?
1960年代中学時代にフェノロサの凍れる音楽に憧れて薬師寺東塔を見に行ったのが確か中学2年生の頃だったと思います。

当時は平屋の金堂と東側に聖観音のある東院堂があって、回廊なんか無かった様に思います。
東塔が西塔の心柱の礎石にたまった水に映るというのが薬師寺の風情で、写真を撮った思い出があります。高校生になってからも数度訪れた記憶があります。
当時高田好胤師がまだ管主になられる前だったと思います。修学旅行生の団体を前にしてお寺の説明をされていたのを拝見したことがあります。
非常にわかりやすく、ユーモアを交えた解説でした。
高田好胤師の尽力で今の伽藍が出来上がったのだと思うと、約半世紀の間にここまで変わってゆくのかと感心しました。


私の主観としては昔のままの方が好きです。千数百年の歴史が感じられる風情が無くなってしまった感があります。
今の伽藍はいってみれば当時出来上がったばかりの美学を持って今の私たちに当時の姿を見せてくれているということですのでこれも捨てがたいですが・・・。
そういう観点から唐招提寺を見てみると非常に対照的な二つの寺院です。
唐招提寺は天平時代そのままの伽藍をかいま見ることができる寺院です。
木造建築が風雨にさらされながら力強く生き続けてきた証を我々は見ることができるのです。
(C) OSAKA TIN TOY INSTITUTE/nobuo kumagai/2011

2011年2月17日木曜日

鉄鋼王カーネギーのレール

近くの阪堺電車の駅の柱はレールを加工して造ったものです。
今でもJR(旧国鉄)の駅舎や私鉄の駅舎でホームの屋根を支える柱をレールを利用しているところをまだまだ見かけます。
このチンチン電車の駅も柱をよく見るとレールでできています。
長年利用している駅ですが先日気がついたことがありました。
レールの側面に何か英文がレリーフされています。
ペンキを何度も塗り重ねてレールでできた柱だと気づくひとも少ないと思いますが。
明らかにレールの側面に文字が浮き出ています。

よく見るとCARNEGIEと読めました。そのあとに1914という文字も確認できました。
これはなんと1914年生れのアメリカのAndrew Carnegieのカーネギー鉄鋼会社の製品に間違いないと思いました。
大正3年製。阪堺電車のホームページによりますと明治44年12月に恵美須町~大小路間が開通、多分その後何度もレールを交換していて駅舎を改装するときに使い終わったレールを使って柱に加工したのでしょう。
おおよそ百年前のレールがそれもカーネギーの刻印のあるレールが、驚きでした。
昔の鉄道会社はこうやって資材を再利用していたのですね。
今なら新しい資材を使って駅舎を改装してしまうんでしょうが、昔のひとは貴重な資材を工夫して使っていたんだと改めて感心しました。


(C) OSAKA TIN TOY INSTITUTE/nobuo kumagai/2011

2011年2月14日月曜日

第一回 おもちゃサミットin 湯郷温泉

2月11日から13日まで岡山県美作市湯郷温泉でおもちゃフェスティバルがありました。
その中で第一回おもちゃサミットが開催されました。
私もおもちゃの講演ということで参加させて頂きました。
『日本のブリキのオモチャの歴史とその魅力』というテーマでおもちゃの画像をご覧いただきながら日本製のおもちゃの歴史と玩具の特徴と魅力について1時間ばかりお話しさせて頂きました。

湯郷温泉は昨年からおもちゃ関連の施設が3カ所誕生して散策をしながらそれぞれ特徴の有る施設を巡るという楽しみができる温泉町になっています。
東粟倉にあった現代玩具博物館が美作市営の「現代玩具博物館、オルゴール夢館」に生まれ変わりました。
岡山在住の水島昭さんのコレクションの寄贈が有り、これも湯郷温泉の公営の資料館として「鉄道模型館&レトロおもちゃ館」として大きな展示室を持っています。中にしつらえられたNゲージのレイアウトは京都精華大学の学生さんが製作担当したもので、自分で電車の走行ができる様になっていて思い思いの列車をコントロールして運転手気分を味わえます。
水島さんのコレクションは鉄道模型から、ミニカー、キャラクターもの等多種に渡っています。
「あの日のおもちゃ箱ー昭和館」は昭和時代のレトロなものがたくさん展示されている資料館で、おもちゃから日用品、電化製品、漫画少年月刊誌等展示品はどれを見ても懐かしいものばかりです。
画家の竹中さんがこつこつと蒐集した膨大なコレクションがレトロな雰囲気の展示室に飾られています。

このようにおもちゃ関連施設が揃っていることから町ではおもちゃのまち宣言をして広く全国から湯郷温泉に来ていただけたらという思いで毎年サミットを開催するということです。

当日はマスコミの告知も多数あり、お子様連れ等のグループが町中の資料館巡りをする姿をたくさん見ました。

おもちゃサミットin湯郷温泉画像

(C) OSAKA TIN TOY INSTITUTE/nobuo kumagai/2011

2011年2月8日火曜日

WIRE NET JUGLLING 完成

先日ご紹介しましたWIRE NET JUGLLINGが完成しました。
サーカスのクラウンをイメージした頭部の造形、ガラスの目玉をつけることで存在感を出しました。
ボールと手のひらの動きの調整が一番難しいところで、ちょうどボールが一番下に来るところに手のひらを持ってくるのがジャグリングしているように見えるのです。
動画を見て頂ければよくわかりますが、ボールと手のひらのコンビネーションは今回一番いい出来になりました。

(C) OSAKA TIN TOY INSTITUTE/nobuo kumagai/2011


湯郷温泉オモチャフェスティバル

岡山県美作の湯郷温泉でオモチャフェスティバルが開催されます。
今回第一回目で、湯郷温泉にあるおもちゃ箱 昭和館、現代玩具博物館、オルゴール夢館、鉄道模型&レトロおもちゃ館 そして湯郷温泉旅館協同組合が企画したおもちゃ関連の催しです。
おもちゃサミットin湯郷温泉と銘打った催しが2月11日から13日まで開催されます。
詳細は上記リンクからお願いします。
大阪ブリキ玩具資料室もこの催しに参加します。

(C) OSAKA TIN TOY INSTITUTE/nobuo kumagai/2011